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行き止まりの壁を前にして

 私は監督タルコフスキーの「惑星ソラリス」という映画が好きです。

 この映画を見ると、いつも「行き止まりの壁に映された美しいシネマ」という言葉が浮かびます。

 本文章では「行き止まりの壁に映された美しいシネマ」という言葉を説明することで私が惑星ソラリスを好きな理由を述べたいと思います。

 惑星ソラリスはSF映画とされていますが、スターウォーズのような派手な戦闘シーンはありません。あらすじを言えば、「人間の意識を反映して具現化させる海」を持つ惑星ソラリスを訪れた主人公の前に亡き妻が現れ、それに対する彼の反応を中心に置いた映画です。目立ったストーリーの起伏がないため眠くなる映画だとよく言われます。しかし、この映画にはどうしようもなく惹きつけられる魅力があります。

 その魅力の一つは、「惑星ソラリス」は地球に暮らす私たちそのものに置き換えられることです。つまり私たちは「惑星ソラリス」に暮らしていると仮定できるのです。映画のスクリーンを一歩退がってみれば、今見ている世界もソラリスが具現化した幻かもしれない、と思考できます。そしてこの考えは誰も否定も肯定もできないという面白さを持っています。

 映画の冒頭では、現実と幻(ソラリスの海)の境目が共有されます。そのため、見ている者は主人公と一緒に画面に現れる妻を幻と認識しながら物語を鑑賞できます。つまり見ている者は安心して幻と向かい合えるのです。映画の最後には現実と幻の裂け目も共有されます。

 しかし、ここでもう一度前提として共有している目前の世界は現実であるのか、と疑問が浮かびます。鳥のひなが初めて見たものを親と思うように、人は生まれて初めて認識する世界を現実と捉えるだけでそれは仮のものかもしれません。スクリーンを前にして足元がぐらりとゆらぐ感覚を覚えます。

 不安にかられて目の前の世界が「ソラリス」であるか確認しようとしても、どうしようもできないことに気づきます。映画を通して私たち人間の認識の限界、世界の限界を感じさせられます。これが文頭で私が述べた「行き止まりの壁」にあてはまります。

 先ほど「どうしようもできない」と述べましたが、結局のところ目の前の世界が現実であろうと幻であろうとその世界を私たちは生きていかなければなりません。この「行き止まりの壁」に向かい合った時、「では、どのように生きるのか」と問われているように私は感じました。そして目の前のスクリーンにはタルコフスキーの撮った美しいシネマが映されており、彼の生き方がそのまま表現されているのです。

「惑星ソラリス」は「行き止まりの壁」を前にしても人は無力ではなく情熱を持って生きる価値、そして世界は美しいということを示してくれる作品であり、私はこの映画が好きなのです。

 

 

*万引き家族を観て、過去に書いた感想を思い出したので再掲