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スクランブル交差点のスタバ

 ある金曜日の二十三時、わたしはスタバにいた。

 目の前には渋谷スクランブル交差点。

 座っているのは二階カウンターテーブルの右端で、大きな灰色の柱と背後のパテーションに挟まれている。一面の窓の遠くには東急百貨店の大きな白壁と照らされた二つの広告が見えている。

 いくつもの信号がぱっと緑に輝く。

 ビー玉をゆっくりとこぼしたように交差点に人が溢れ、ぶつかることなく交わり、時に留まり、流れゆく。

 やがて交差点に注がれた人々は水跡が乾くように中央から濃度が減りはじめ、アスファルトが顔を出し、歩道の模様が現れる。

 信号が赤に変わる。

 しかし、まだ交差点を渡る人たちがいる。車のライトが残る水滴を払うように動き始め、信号のあたりにはすでに人が溜まっている。いつもの渋谷。

 わたしは氷ばかりになったコーヒーのストローから音を出して吸った。

 視線を下げればセンター街へ歩く人たちがいる。

 彼と手を繋いで歩く笑みのこぼれる彼女。電話をしながら早足で歩くスーツの男性。キャリーケースを転がす海外の旅行客。チラシを差し出す金髪の居酒屋の店員。ただたむろする人々。いつもの渋谷。

 渋谷の交差点をじっと見てしまうのはなぜだろう。

 次々と視界に現れては消えゆく人たちを見て思った。

 わたしは彼らの名前を知らない。彼らの生活を知らない。彼らはどこから来て、どこへ行くのだろう。一人一人に帰る場所、生活があってもここからはわからない。

 信号が変わる。

 いくつもの世界が交差点に溢れ、ぶつかることなく交わり、時に留まり、流れゆく。そして窓枠のむこう、世界のむこうへきえてゆく。

 なにかわかったような気がした。これは、そう、天使の視点のようだ。

 平等に関心なく、世界に触れては手を離す。次々と絶え間なく彼らの時間を一瞬だけ垣間見る。意味も目的もなく。

 わたしは今、どこを見ているのかわからなくなった。

 真上から眺めるスクランブル交差点が浮かび、まわりに並び立つビルのでこぼこと鮮やかなネオン、小さな点であるたくさんの人々、そして景色の片隅に空の容器のストローをくわえたわたしを見た、ような気がした。

 

 信号が変わる。

 わたしは席を離れ、容器をゴミ箱に捨てた。

 エスカレーターで降りる前に一度、渋谷の夜空を見た。